なぜ名古屋城の金鯱が茶釜になった?!まるはちマーク金の茶釜の由来とは?

名古屋市には金の茶釜があります。かつて名古屋城大天守の中に入れた時、複製品ですがその金の茶釜が公開されていました。茶釜の名前は丸八文様鯱環付真形釜(まるはちもんよう しゃちかんつき しんなりがま)。なぜ金鯱が茶釜になつたのか?説明板には深い訳が書かれていました。

丸八文様鯱環付真形釜(まるはちもんよう しゃちかんつき しんなりがま)(複製)

焼失した金鯱の一部は、重さ6.6キロの塊と化して残った。これは昭和42年(1967)に名古屋市に返還され、そこから金を精製し、茶釜と名古屋市市旗の竿頭(かんとう)につくり直すことに決定した。初代金鯱に使われた金は姿を変え、こうして現存している。

この説明を補足すると、名古屋城大天守の頂上にあった金鯱は太平洋戦争の昭和二十年(1945)五月に空襲から守ろうと地上に降ろされる作業が進められていました。しかし作業途中の5月14日に空襲に遭い、雄、雌の鯱とも燃えてしまったもです。

その後、占領軍に接収され日本に返還。大蔵省(当時)を経て名古屋市に帰ってきました。討議の結果、茶釜と市旗の竿頭(かんとう)に作り変えられたのです。その茶釜の複製が名古屋城大天守の地下で展示されていました。

この丸八文様鯱環付真形釜(まるはちもんよう しゃちかんつき しんなりがま)の取っ手(環付:かんつき)のデザインは鯱形。また『丸に八』、通称マルハチは名古屋市の市章。もう名古屋城大天守で見ることができない金の茶釜の複製品ですが、本物は名古屋市の宝として大事に保管されています。

金の茶釜のスペック

【22金】

重さ:4.159kg
大きさ:直径252mm
高さ:223mm
口径:123mm

知れば知るほど好きになる名古屋城 より

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