名古屋城は徳川家康の命で築城が決まったが将軍はすでに二代目の秀忠だった

名古屋城は大坂城の豊臣氏への備えとして徳川家康の命令で築かれた城です。慶長十五年(1610)に築城が始まりましたが、当時の将軍は家康ではなく、すでに二代将軍・徳川秀忠でした。ではなぜ将軍を引退した徳川家康が命令していたのか?それには徳川幕府の事情があったからです。

大御所としてまだ現役

徳川家康は江戸幕府初代将軍(征夷大将軍)です。しかし在位期間は慶長八年(1603)~慶長十年(1605)の2年間だけ。その後、三男・秀忠に将軍職を譲り、自身は将軍を引退しいました。しかし大御所(おおごしょ)として政治には関わり続けたのです。

将軍の在位期間

初代・徳川家康 慶長八年(1603)~慶長十年(1605)
二代・徳川秀忠 慶長十年(1605)~元和九年(1623)
三代・徳川家光 元和九年(1623)~慶安四年(1651)

徳川将軍の在位期間を三代まで見てみます。名古屋城は慶長十五年(1610)に築城がスタートしましたので、当時の将軍は二代・秀忠です。つまり初代・家康の命令で築城が決まりましたが、その時の将軍は徳川秀忠ということですね。

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