付家老って何?尾張藩は誰が付家老だった?

附家老(つけがろう)は、御三家など将軍の一族を大名にした時、将軍からのの命令を受けて、家老としてに附属された家臣です。御三家など将軍の親族から大名になった人物は基本、小姓などの側近を除いて家臣はいませんでした。つまり藩の政治を行う家臣は将軍家から付けられた者となります。

その中で附家老は政治や軍事のサポート(補佐)を手伝うと共に藩主や時期藩主の養育も行い、かつ幕府の意向に沿うことも期待されていました。つまり将軍直属のお目付け役(監視役)といえば分かりやすいでしょうか。

尾張藩の附家老は誰?

尾張藩の附家老は歴史を見てくると次の5家です。

平岩親吉(尾張犬山12万3千石)
徳川十六神将の1人に数えられた武将。慶長十二年(1607)より徳川義直の附家老となる。親吉は慶長十六(1612)に没し、跡継ぎがいないために平岩家は断絶。

渡辺氏(三河寺部1万4千石)
徳川十六神将の1人に数えられた渡辺守綱が、慶長十八年(1613)より徳川義直の附家老となる。大坂の陣では初陣の徳川義直を後見した。

成瀬氏(尾張犬山3万5千石)
成瀬正成が元和二年(1616)徳川義直の附家老となる。慶応四年(1868)に明治政府により九代・正肥(まさみつ)が独立大名と認められる。

竹腰氏(美濃今尾3万石)
徳川義直の異父兄・(お亀の方前夫の子)竹腰正信が元和五年(1619)より徳川義直の附家老となる。慶応四年(1868)に明治政府により十代・正旧(まさもと)が独立大名と認められる。

石河氏(美濃駒塚1万石)
徳川義直の異父兄・(お亀の方前夫の子)石川光忠が、慶長十七年(1612)より附家老となる。ひ孫の正章(まさあき)の代に石河(いしこ)氏へ改姓される。

平岩氏と渡辺氏は徳川家康に仕えた三河武士で大名に取り立てられた家臣。成瀬氏は犬山城を与えられ、平成半ばまで犬山城も成瀬氏の個人所有の城でした。また竹腰氏、石河氏は徳川義直の生母・お亀の方の前夫の子供たちです。以上5家が尾張藩の附家老に就任した家です。

私の感想

この尾張藩附家老は名古屋城検定の初級、中級にもたまに出るくらい名古屋城を語る上で重要な存在だと思います。それぞれ特徴がある人物、家なので覚えやすいです。

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