名鉄瀬戸線 東大手駅周辺は名古屋城の堀や土塁と石垣の宝庫!

電車で名古屋城に行くとき、最寄り駅の名古屋市営地下鉄・名古屋城駅から名古屋城に行く人がほとんどだと思います。でもちょっと足を伸ばすと、名古屋城の豪快な遺構が楽しめるのです。それが名鉄瀬戸線・東大手駅周辺です。

>>名鉄瀬戸線東大手駅の地図

駅の由来を見てみる

 名古屋鉄道瀬戸線『東大手駅』の由来

かつて名古屋城外郭の『三の丸』には、五つの城門があって、正門にあたるのが『本町門』であり、東門に相当するのが『東大手門』で、『東大手駅』の駅名の起源である。

このほか、南西には『御園門(みそのもん)』、西には『幅下門(はばしたもん)』北には『志水門(しみずもん)』があって、そのいづれもが土居や石垣に囲まれた枡形(ますがた)をつくり、そこで道路を曲折させていた。本町門、幅下門、東門付近の道路の曲折はその名残である。東大手門付近では、外濠に三つの清水橋がかけてあったが、そのうちいちばん南の橋の位置が今の清水橋に当る。

名古屋鉄道瀬戸線の前身にあたる『瀬戸電気鉄道』は、明治三十九(1906)に瀬戸と大曽根間を開通させたが、その後明治四十四年(1911)に、堀川の水運を利用するために堀川まで延長した際、土居下、堀川間は名古屋城の外濠底を利用した。この間に『東大手』、『久屋』、『大津橋』、『本町』の諸駅があったが、昭和十四年(1939)名古屋鉄道に合併してから、『東大手』、『久屋』は廃駅となった。

昭和五十三年(1978)八月名古屋鉄道瀬戸線が都心『栄町』乗り入れに際し、旧東大手駅跡の北側の地下に改めてこの『東大手駅』を再開し、名古屋城史跡の名を残ることとなった。

名古屋城史 名古屋市発行  1965年
名古屋鉄道社史 名古屋鉄道発行 1961年
愛知県立明和高等学校 歴史クラブ顧問 加藤武夫

城郭用語で大手(おおて)というのは正式な門という意味。名古屋城の正門は別の場所にあるので、ここは東の正門という意味で東大手という名前なのでしょう。それが駅名の由来になったということですね。

名古屋城の遺構

駅の西側を見てみると、名古屋城の遺構が残っています。まず大きな谷みたいなのが名古屋城の外堀。名古屋城が築城されたのは江戸時代初期なので、この外堀は手掘りです。そこで出た土を盛って作ったのが隣の土塁。つまり堀と土塁はセットなのです。

これだけ豪快な堀ですから、名古屋城廃城後、その堀跡を利用して線路が敷かれました。説明看板を見ると、つまり昭和の頃まで名古屋城の堀跡を電車が通っていたということです。

これは北側(名城公園の方角)に向けて撮った画像。堀や土塁が分かります。北側はゆっくりと下がっているのですが、これは名古屋台地(熱田台地とも)の地形。つまり名古屋城は台地のヘリの部分にあって、北側はガクンと下がっているのです。

清水橋の向こう

堀を南へたどって行くと清水橋があります。この橋は堀に架けられた橋で、実際の東大手は駅よりもこちらの志水橋のほうです。ここには堀や土塁のほか石垣も残っています。

私の感想

名古屋城といえば地下鉄の駅から入って、また地下鉄の駅に戻るという流れです。でも今回紹介した様に少し足を伸ばすと名古屋城の豪快な遺構を目にすることができます。

あとこの東大手と清水橋の遺構を見学する時のアドバイスは、夏より冬がオススメです。その理由は夏は草木が生い茂り、堀や土塁の様子もよく分からないからです。城巡りするなら冬がオススメです。

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