名古屋市西区枇杷島の地名の由来はホントに琵琶だった!清音寺と白菊の地名

名古屋市西区と隣の清須市に枇杷島(びわじま)という地名があります。この地はかつて川の中洲があったので、琵琶みたいな形の島なのかと思いきや、ホントに琵琶が地名の由来になっていたのです。

その枇杷島の地名の由来とは?今回はその謎を解くために名古屋市西区枇杷島の清音寺に行ってきました!

(枇杷島の読み方は びわじま)

■清音寺の住所■

名古屋市西区枇杷島3丁目10−6

>>清音寺の場所の地図

枇杷島の由来とは

清音寺

曹洞宗。治承三年(1179)時の太政大臣藤原師長は、平清盛のため尾張国井戸田に流された。師長は村長横江氏の娘を寵愛したが、後に赦されて都に帰るとき、形見に守り本尊の薬師如来と白菊の琵琶を残した。しかし、娘は別れを悲しみ、ここで身を投じたという。後にこの地を枇杷島と名付け娘の菩提を弔うためこの寺を建立した。寺号の清音寺は娘の法号清音院からとられている。

名古屋市教育委員会

ここに書いてある通りなら、藤原師長が娘に渡した白菊という琵琶が地名のゆらいということですね。

白菊も地名になっていた

藤原師長が娘に渡した白菊の琵琶は残っていませんが、この逸話から地名になって残っています。それが清音寺から北に200mほど行ったところにあるバス停・白菊町。また白菊公園もあります。

そして枇杷島橋

清音寺の前をかつての旧街道・美濃路が通り、すぐそばに庄内川があります。そこの架かる橋が枇杷島橋です。

江戸時代の観光ガイドブックである、尾張名所図会。ここにも枇杷島橋が描かれています。川の中洲の両側に橋があり、これの東側が現在の名古屋市西区。西側が清須市ですね。今では埋め立てられており、中洲はもうありません。

これは名古屋名所団扇絵の枇杷島橋風景。こちらは東側から見た景色になっています。

現在の枇杷島橋。東(名古屋市西区)から西(清須市)を見るとこんな景色です。今では川に架かる普通の鉄筋の橋ですね。

私の感想ですが、枇杷島の由来が平安時代までさかのぼるとは思いませんでした。名鉄線に西枇杷島駅、東枇杷島駅がありますが、それが平清盛の時代が由来とは…

まさに地名に歴史アリ!ですね

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