名古屋城御深井丸にある乃木倉庫(のぎそうこ)は、名古屋城が空襲を受けた時に本丸御殿の障壁画等を守った倉庫です。再建された名古屋城本丸御殿にはかつての障壁画や天井絵が復元されています。でもなぜ復元できたのかという理由は、空襲を受ける前にこの乃木倉庫に避難させていたからです。
もとは弾薬庫だった
登録有右傾文化財(平成九年)
乃木希典(のぎまれすけ)が名古屋鎮台(ちんだい)に在任していた明治初期に建てられたと伝えられ、だれいうことなく『乃木倉庫』と呼ぶようになった。当建物は、煉瓦(れんが)造平屋建で旧陸軍の弾薬庫であった。昭和二十年(1945)五月十四日の名古屋空襲の際、天守閣、御殿等が焼失したが、本丸御殿の障壁画や天井絵類の大半を取り外して保管していたため被災を免れた。のちに煉瓦の保全のために白亜塗りにした。なお、被災を免れた障壁画等は重要文化財に指定されている。名古屋市教育委員会
名古屋鎮台(なごやちんだい)とは、明治六年(1873)から明治二十一年(1888)まで存在した日本陸軍の部隊。当時6つあった鎮台の一つ。明治二十一年(1888)の鎮台廃止で第3師団に引き継がれた。
やはり頑丈みたい
乃木倉庫は明治初期に造られた倉庫ですがその頑丈さは現在でもよくわかります。まずは倉庫の扉。鉄板でどれくらいの厚さがあるか分かりませんが重厚な感じがします。
また床下も分厚く、通風孔の奥行きがどれくらいあるのか、低い姿勢でないとその厚みもわかりません。名古屋市教育委員会の説明板にもありましたが、もとは煉瓦造りで白塗りは後で施したみたいです。
私の感想
私の乃木倉庫の感想ですが、乃木希典(のぎまれすけ)さんが、この倉庫を作ってくれたおかげで名古屋城本丸御殿も再建できたので感謝です。もしかすると避難途中で燃えてしまった天守の金鯱も、この乃木倉庫に入れられる予定だったのでしょうか?
乃木倉庫は名古屋城検定にもチラホラ出てきます。その理由は乃木倉庫が本丸御殿再建に関わっているからです。この乃木倉庫がある御深井丸(おふけまる)は、名古屋城でも目立たない場所にあるので西北櫓(清洲櫓)とセットで見学するのもよいでしょう。