名古屋城の大天守裏に茶席があります。この茶席の中に猿面茶席(さるめんちゃせき)があり、織田信長と木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)の逸話が残っているのです。どんな茶席なのか?また残る逸話とは?早速行って来ました。
猿面茶席の場所はここ
まず猿面茶席がある場所は名古屋城の大天守の裏です。名古屋城入り口のイラスト看板にもよく見ると茶席の記載があります。じつはいくつかの茶席があって、そのうちのひとつが目指す猿面茶席です。
イベントなら入れる
名古屋城の茶席は普段は有料貸出しで茶会が行われています。なので基本的にはいつでも入ることができませんが、名古屋城秋祭りなどイベントの時には公開されるので、イベントを狙って行ってみましょう。
茶室はいくつかあり、そのうちのひとつに猿面茶席があります。そんなに広くない茶室です。
そして猿面
猿はどこだ?と探してみると…ありました!床の間の柱をよく見て見えると、なにやら目の様なものが見えます。人の顔?いや猿の顔。
現地説明板には以下のように書いてあります。
猿面茶席
【戦災焼失 昭和24年 1949復元】
名古屋城築城の際、古田織部(1544~1615)の指図に基づき、清洲城の古材より建築した茶席です。この茶席の床柱には二つの節が並び、まるで目のようで、その周辺を含めて「猿の顔」の様に見える部分があります。
その昔、織田信長が清洲に在城の時、秀吉に対してその柱の節目部分を「汝(なんじ)の面の如し」と言って戯れたと伝えられ、いつとはなく「猿面茶席」と称されるようになりました。
茶室の柱の節が2つ並んで目の様に見えるために猿面という名前が付いたとか。確かにいわれてみれば猿みたいな顔ですね。戦災で焼失して昭和に復元されたものですが、これも織田信長や木下藤吉郎秀吉のエピソードが残るものなので貴重だと思いました。