城の石垣の石はどうやって切り出すの?名古屋城能楽堂前の矢穴石で解説

名古屋城能楽堂の前に加藤清正の銅像があります。かなり大きくインパクトがある銅像なのですが、そのすぐ隣に穴が空いた石が展示してあります。実はこれ、城の石垣を知る上で重要な石なのです。

この石は江戸時代初期に名古屋城が築かれる時、石垣の石を切り出すための矢穴(やあな)が残されています。まだ電動工具や機械が無かった江戸時代初期、どのように石を切り出したのか?現地の案内看板をもとに解説します。

>>矢穴石の場所の地図

矢穴石(やあないし)とは

矢穴(やあな)とは石を切り取る際に彫られた穴のことで、矢穴を使って石を切り取る方法は戦国時代の終わり頃から使われはじめ、道具を変えながら現在でもほぼ同じ様な手法で石が切り出されています。名古屋城の石垣には矢穴が多く見られます。

石の切り取り方は、まず『セットウ』と『ノミ』という道具で、切り取ろうとするラインに沿って矢穴を彫ります。次に矢穴に断面が三角形状の『ヤ』を差し込んで叩きます。『ヤ』が叩かれると矢穴を押し広げるように力が加わり、矢穴に沿って石が切り取られます。割れた面には歯型の様な矢穴の列が残ります。

しかし矢穴を彫っても思う通りに石を割ることができるワケではないのです。石には『目』と呼ばれる割れやすい方向があり、矢穴が目に沿っていなければ割れないのです。また矢穴が目に沿っていても割られなかった石もあります。その様な石は表面に矢穴だけが残り放置されます。

この能楽堂前に展示してある石は三河湾に浮かぶ篠島に残されていた矢穴石です。矢穴の形から江戸時代初期に彫られたと考えられ、当時の石を切り取る技術の一部を観察、研究できます。篠島は加藤清正が石を切り出した伝承もあり、現地には清正の石切場も残されています。

私の感想

私の感想ですが、普段何気に見ている城の石垣ですが、電動工具や重機も無い時代、どのように石を切り出すか分かりやすく展示解説しているので面白いと思いました。あなたがもし石垣が好きな人で、名古屋城に行くときはこの能楽堂の加藤清正像横にある、篠島の矢穴石を是非、チェックしてみることをオススメします。

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