名古屋城西南隅櫓は重要文化財に指定されている3櫓のひとつです(他は東南隅櫓、西北隅櫓)。そこで他の2つの櫓には無い西南隅櫓独自の特徴が瓦にあるのです。それが菊花紋章。
瓦の菊紋
菊の御紋といえば、天皇家を思い浮かべます。でもかつて名古屋城は天皇家のものではなく、徳川幕府一族の尾張藩の城でした。でもなぜその尾張藩の名古屋城の天皇家の菊花紋章がデザインされているのか?結論からいうと宮内庁が西南隅櫓の修理に携わったことがあるからです。
これが理由
説明板にある自然災害とは明治二十四年(1891)の濃尾地震でこの時、西南隅櫓は石垣と共に崩壊しました。しかし大正十二年(1923)に宮内省によって復旧されました。これが理由で西南隅櫓には菊花紋章(菊紋)がデザインされているのです。
また宮内省がなぜ名古屋城内の櫓の修理をしたのか?という理由ですが、当時はもう名古屋城は廃城となっており、城ではなく、皇族が宿泊する名古屋離宮として使われていたから。再建もかつての古材をできるだけ用いたみたいで、それも重要文化財に指定された理由のひとつだと思います。
私の感想
私の感想ですが、他の2つの重要文化財の櫓(東南隅櫓、西北隅櫓)には見られない菊紋なので、東南隅櫓を撮る時にはこの菊紋も忘れずに撮っておくのがオススメです。
また内部は通常入れず、名古屋城夏祭りなどのイベント時に公開されることがあります。その時は他のイベントもあると思いますが最優先で見ておくのが良いでしょう。