中村遊廓の遊女の入水自殺のメッカ!遊里ケ池と弁天様にまつわるハナシ

名古屋市中村区の日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院(中村日赤病院)の敷地内にある遊里ケ池(ゆりがいけ)は、大正~昭和にかけてこの近くに存在した中村遊廓に縁がある池です。

弁財天

名古屋第一赤十字病院が開院する以前、この地にはかつて『遊里ケ池』という大きな池がありました。人々の憩いの場所として親しまれた一方、池の中の嶋には中村弁財天が建立され、中村遊廓で亡くなられた遊女の供養のため、近江の竹生島から弁財天の分身が迎えられお祭りされていました。

昭和のはじめ弁財天はこの寺とともに藤江町に移りましたが、この池のいわれに因み、昭和12年の開院以後、この寺から新しい分身をお迎えし敷地内にお祭りしておりました。この度新病棟の完成にあたり、お動を新築し再びお祭りしております。

平成21年10月

自殺する理由とは

遊里ケ池は人口の池でした。大正十三年(1924)に現在の名古屋市中区にあった旭遊郭(あさひゆうかく)が中村に移転することになり、急ピッチで遊郭を作る工事が進められました。その時、大量の土が必要だったので、土取のためにできた大きな穴に水が溜まり、遊里ケ池になりました。明治時代の地図を見ると遊郭もなく、遊里ケ池もありません。

大正時代末の古地図。何も無かった田んぼ地帯に大きな池と遊郭ができています。さて、なぜ遊里ケ池に遊女たちの自殺が多かったのか?その理由は遊郭は借金を背負った女性たちがほとんどなのですが、中村遊廓の場合、働いても借金が減るどころか逆に増えるシステムでした。つまりなかなか抜け出せないんですね。

例外で身請けという、客が借金を払い妻や妾になるという方法もありましたが、そんなに多くなく、世を儚んで自殺した女性が多かった。その亡くなった女性たちのために琵琶湖・竹生島の弁天様を建立したといわれています。

別の説もある

一般的には遊里ケ池は遊女、女郎たちの自殺のメッカで、その供養として弁天様を建立したといわれていますが、別の説もあります。それが自殺あまり関係ない説。

弁天様は芸能の神様でもあり、遊郭で働く遊女、女郎たちは三味線や歌、踊りができないとお座敷に呼んでもらえませんでした。そこで自分たちの芸を磨いていましたが、弁天様にあやかり芸が上達するのを祈願したので弁天様が建立されたというもの。

また自殺の女性の供養なら、弁天様ではなく観音様が建立されているのではないか?という意見もあり、供養のためではなく芸の上達祈願のために弁天様が建立されているという説があります。

弁財天

七福神唯一の女性。ヒンドゥー教の女神で水の神。琵琶を演奏する姿から芸能にもご利益があるといわれている。

私の感想

中村日赤病院の中にある弁財天は、供養のためなのか芸達者のためなのか、未だに議論されていますが、中村遊廓で働いていた遊女や女郎にゆかりがある神様というのは間違いないので、中村遊廓とセットで訪れるとよいと思いました。

ちなみにかつての遊里ケ池はこの弁財天がある場所ではなく、病棟の下あたりにあったとのことなので、今では埋め立てられています。

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