名古屋市に東洋のパナマ運河を再現した松重閘門とはどんな仕組み?

名古屋市中川区に東洋のパナマ運河と称された門があります。それが松重閘門(まつしげこうもん)です。昭和に活躍した水門ですが、当時はかなり画期的な方法で水位が違う堀川と中川運河を繋いでいました。その仕組を分かりやすく解説します。

>>松重閘門の場所の地図

現地看板

東洋のパナマ運河 松重閘門

中川運河は1926(大正十五)年着工、1930(昭和五)年に一部、1932(昭和七)年に全線開通、松重閘門も開通し、『東洋一の大運河』と呼ばれた。過密になってきた堀川の船の運航をスムーズにするために中川運河へ渡って出て名古屋港へ運んだ。

堀川と中川運河の水位が違うため、閘門式で調整する方法はパナマ運河と同じである。中川運河の船舶往来は1964(昭和三十九)年にピークを迎え、貨物の輸送は船からトラックへと変わっていった。松重閘門も1976(昭和五十一)年に使用停止となるが1977(昭和五十二)年に住民の要望で存続されることになった。『水上の貴婦人』と称されたヨーロッパの城塔を思わせる四つの塔が優美な建造物である。

平成二十六年三月 名古屋市

船を運ぶ仕組み

まず堀川と中川運河は水位が違い、松重閘門が無いと堀川の水が常に中川運河に流れ込みます。それを防ぐために水門である松重閘門は通常閉まっているのです。そして船が通る時に閘門を開けます。


船が閘門に入ると中川運河の水位まで下がり、そこから船が抜けていく仕組みです。つまり水位が異なる堀川から中川運河へ船を移動させるために水位を調整できる水門です。

私の感想

現在では使用されていない松重閘門ですが、地元ではモニュメントとして親しまれています。歩道にも松重閘門のパネルがありました。私の感想ですが、可能な限り残しておいてほしいと思いました。その理由は名古屋市のちょっとした名所にもなるからです。堀川沿いにあるので堀川の散策時に立ち寄れる松重閘門です。

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