名古屋市瑞穂区に妙音通(みょうおんどおり)という地名があります。地下鉄の駅名でもありますね。実はこの妙音通の地名は平安時代の太政大臣・藤原師長ゆかりの地名なのです。
なぜここへ来た?
太政大臣(だいじょうだいじん)とは、天皇を補佐する朝廷の最高官職。しかし時の権力者である平清盛により、当時は田舎だった尾張国へ流されてしまいます。その時、謫居(たっきょ:住んだ場所)したのが現在の名古屋市瑞穂区の妙音通周辺といわれています。
藤原師長公謫居(たっきょ)跡
太政大臣藤原師長公は、平清盛の嫌疑を被り、治承三年(1179)十一月、井戸田村へ流されて来た。出家し仏門に入り、理覚と法名を授かり、花の朝、月の夕べ、東北2キロの丘に登り(今の師長町の丘陵)琵琶を禅して京をしのんだ。
死後、戒名に妙音院の院号を授かり、これが今の妙音通の地名のおこりである。身辺の世話をした村長横江の娘を契り、師長公が帰洛を許されるとき、別れを惜しんで土器野里(枇杷島:西区)まで送って来た娘に形見として片貝の琵琶『白菊』を与えた。娘は悲しみのあまり、その形見を抱いて水に身を投じたという。
(四つの緒の しらべもたえて 三瀬川 沈みはてぬと 君に伝えよ)の歌が残されている。
井戸田学区連絡協議会文
名古屋市営地下鉄・名城線の妙音通駅のすぐ南に嶋川稲荷がありますが、ここに藤原師長が住んでいた館があったようです。現在は遺構は残っておらず石碑が建立されています。
師長町はここ
嶋川稲荷の看板にあった師長町は名古屋市営地下鉄・名城線の瑞穂運動場東駅のすぐ西側にあります。現在では高層マンションが立ち並ぶ場所ですが、丘陵地になっているので高い建物が無かった時代は、かなり遠くまで見渡せたのではないでしょうか。
地名つながりで
ところで名古屋市西区に枇杷島(びわじま)という地名があります。ここは師長から白菊の琵琶を渡された娘が身投げをした場所といわれ、その琵琶から枇杷島(びわじま)の地名が付いたといわれています。またかつては白菊の地名も残っていたようです。
>>名古屋市西区枇杷島の地名の由来はホントに琵琶だった!清音寺と白菊の地名
私の感想ですが、何気ない地名も昔の人物にゆかりがあったりしますので、地名を調べるのも面白いですね。