岐阜県羽島市桑原町大須に真福寺という寺院があります。この真福寺は名古屋市中区の大須観音がもとあった場所です。なぜ移転したのか?そしてどんな歴史があるのか?分かりやすく説明します。
■真福寺の住所■
岐阜県羽島市桑原町大須2759−131
徳川家康が直接来た寺
真福寺(大須観音)の始まりは寛元のころ(1240年代)、土地の人々によって観音堂が建立されたのが始まりです。ちなみにその頃ここは尾張国中島郡長岡荘大須(おわりのくに なかしまぐん ながおかのしょう おおす)でした。
その後、能信上人(のうしんしょうにん)により寺院が拡大され、北野山真福寺となり最盛期を迎えます。そして戦国時代は織田信長に保護されましたが水害などで衰退。しかし由緒ある寺ということで名古屋城築城時に徳川家康が自らこの地に足を運び、移転を命じたといわれています。その後、地元の人々により再び寺院が建立されたのです。
そして現在
現在でも赤いお堂が建ってます。また本堂の前に歴史を書いた看板もありました。
この看板を見ると、移転後、村民により寺が建立されたとありますが、洪水で幾度か場所が変わり現在に至っているとあります。
この周辺は濃尾平野といって、広い平地なので、田んぼは作りやすかったのですが水害に悩まされた土地でもありました。私の感想ですが、大須観音は名古屋市でも有名な寺院なのでもとからずっとあったと思っていました。しかし移転されてきた寺院ということで、これもあまり知られていない歴史だと思います。
名古屋城検定に出る問題
ところでこの大須観音は名古屋城検定にも以下の様な出題でたびたび出ます。
【問題】
次のうち尾張四観音ではない寺院はどれか?
1笠寺観音
2大須観音
3荒子観音
4甚目寺観音
これの答えは2大須観音。節分や恵方巻きで有名な尾張四観音(おわりしかんのん)は、笠寺観音(南区)、荒子観音(中川区)、甚目寺観音(あま市)、龍泉寺(守山区)。これらの寺院は江戸時代以前からその場所にあります。
大須観音は観音で有名ですが、名古屋城築城時に移転されてきた寺院なので、尾張四観音には数えられていません。