名古屋東照宮(中区)の社殿は、もとは万松寺にあった春姫(初代名古屋城主・徳川義直正室)の霊廟を移築したものです。では東照宮とはなにか?そしてなぜ城主の奥さん(正室)の霊廟を移築したのか?その理由をチェックしてみましょう!
家康を祀る神社
まず東照宮とは江戸幕府を開いた徳川家康を祀る神社のことです。徳川家康は亡くなった後、朝廷より東照大権現(とうしょうだいごんげん)の神号を送られ、その家康を祭る神社を東照宮といいます。
家康の遺体を埋葬した久能山東照宮(静岡市駿河区)が最初に建てられ、江戸時代には幕府も推奨して全国で700近くの東照宮が建てられました。
明治以降、その数は減り、東照宮350年を機に結成された『全国東照宮連合会』によると、加盟する神社は52(2023年6月現在)。石碑なども含めると今でも100以上の東照宮があるといわれています。そのひとつが名古屋東照宮です。
なぜ社殿を移築してきた?
現在の名古屋東照宮の社殿は万松寺から移築したものと説明しました。ではなぜ万松寺から移築したのかという理由ですが、昭和二十年(1945)の空襲で消失したからです。
名古屋市教育委員会の案内看板にもありますが、現在の名古屋東照宮社殿は、徳川義直の正室・高原院(春姫)の霊廟で、万松寺(名古屋市中区)にあったものを大正三年(1914)に建中寺に移し、更に昭和二十八年(1953)に東照宮社殿として移建されたものです。また棟札によれば慶安四年(1651)の建物であることが確認され、愛知県指定文化財でもあります。
名古屋城検定の過去問にも出た!
名古屋城検定でもこの高原院の霊廟はたまに出題されます。過去問には以下のようなものがありました。
(1)相応寺
(2)万松寺
(3)建中寺
(4)定光寺
答えは(2)の万松寺です。
春姫の祭りが名古屋にはある
名古屋市では毎年3月に尾張徳川春姫まつり(旧春姫道中)が開催されます。これは尾張徳川家初代藩主(初代・名古屋城主)・徳川義直を支えた三人の女性たちの祭り。 義直の正室・春姫、生母・お亀の方、 側室・お尉の方。この三人の功績を讃え、尾張徳川の歴史を再現する時代行列です。
私の感想
私の名古屋東照宮の感想ですが、名古屋城近くなので名古屋城に行った時にセットで巡ることができる神社だと思いました。