名古屋市緑区の東海道鳴海宿跡の出入り口に残る2つの常夜灯

名古屋市緑区に残る東海道鳴海宿跡に珍しい遺構があります。それが宿場の東西の入り口に立っていた常夜灯(じょうやとう)です。

東海道鳴海宿には東と西の入り口に常夜灯がありました。東の入り口は平部町常夜灯。西の入り口は丹下町常夜灯です。この2つは江戸時代のもので現存の常夜灯なので貴重なものです。

平部町常夜灯

平部町常夜灯は文化三年(1806)に設置されたもので、鳴海宿の入り口という目印や秋葉社(火伏せの神様)を祀ったものでした。

>>平部町常夜灯の場所の地図

丹下町常夜灯

丹下町常夜灯は寛政四年(1792)に設置されたもので、こちらも目印や日除けの神を祀ったものです。

>>丹下町常夜灯の場所の地図

鳴海宿を歩いてみます

では旧東海道鳴海宿を歩いてみます。かつての宿場は現在では住宅地に変わってしまいましたが、県道222号線がほぼ東海道です。この日は日曜日の朝ということで、人も車も少なかったです。

旧鳴海宿の中心部分に大きなS字カーブの道があります。これは曲尺手(かねんて)といわれる場所で、意図的にS字に曲げられたものです。東海道の宿場にはほぼ、この曲尺手があり、重要な役割のカーブでした。

>>なぜ曲尺手は必要なのか?その理由

緑生涯学習センターのそばに鳴海宿の看板があります。浮世絵にも描かれており、かつて多くの人が通りました。

曲尺手を過ぎると高札場の表示が道路に埋め込んであります。そこから北に70mほどのところに復元された高札場がありました。高札場とは簡単に言うと政治で決まったルールの掲示板です。

例えば現在の私たちは政治で決まった法案をテレビやラジオ、新聞で知ることができますが、江戸時代はそれらのものがありませんでした。そこで人が多く通る所に高札場を作り、人々に知らせていたのです。

戦国時代の史跡

高札場からさらに北に進むとかつての鳴海城址があります。この城址は桶狭間合戦の時に織田信長に敵対した今川軍の城址で、岡部元信という豪傑が守っていました。信長は力攻めができずに砦をいくつか築いて兵糧攻めを展開していくのです。鳴海城址は現在、神社と公園になっています。

鳴海宿の所要時間ですがゆっくり巡って約40分。桶狭間合戦の城址や砦跡、そして街道の見どころを合わせると60分ほどだと思います。

私の鳴海宿の感想ですが、名鉄・鳴海駅からアクセスできる宿場跡なので、時間をかけてじっくり歩いてみると歴史が好きな人には楽しめると思います。

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