高札場(こうさつば)とは分かりやすく言うと、幕府や土地の領主が決めた法度(はっと:ルールのこと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書いて領民、町民そして旅人などに知らせた掲示板です。
現在の私たちは日本政府や定めた法律、また住んでいる都道府県、市町村が定めた条例などはテレビや広報紙、またはスマホやパソコンなどのインターネットで知ることができます。
しかし江戸時代はそれらのものがまだありませんでした。そこで新しく決められたルールなどを知らせるのが高札場です。
高札場はどこにあった?
高札場が置かれていた場所は基本的に人が多く通る所です。なぜかというと、できるだけ多くの人達に知らせるものなので、誰もいない山の中などに設置しても意味がありません。
具体的に設置場所をいうと街道の宿場、それもできるだけ賑わっている場所です。例えば宿場の中心地や辻(つじ)といって道が交差する交差点など。
また高札場は宿場に一つというわけではなく、必要であるなら数か所に置かれていました。現在でいうお報せ掲示板みたいなものですからね。
復元された高札場に行ってみた
愛知県名古屋市に復元された高札場があります。それが名古屋市緑区の東海道鳴海宿です。かつては東海道沿いにありましたが、現在の道路事情で70mほど北に復元されています。
こちらが2009年11月に復元された高札場。復元なので高札も現在のものです。解説版もあります。
高札にはどんなことが書かれていたのか?実は名古屋市博物館に当時の高札が8枚保管されており、それらから高札の内容を知ることができます。
『外国人への乱暴を禁ず』慶応四年(1868)
『キリスト教を禁ず』正徳元年(1711)
『駄賃人足賃を記す』慶応三年(1867)
『五倫の道を記す』慶応四年(1868)
『逃散を禁ず』慶応四年(1868)
『キリスト教を禁ず』慶応四年(1868)
『金札の流通の妨げを禁ず』慶応四年(1868)
この高札を見た感想は、高札に掲げてある法度(はっと:ルールのこと)を逆読みすると、それらの事例が悩みのタネだったということではないでしょうか?
例えば『外国人への乱暴を禁ず』慶応四年(1868)とありますが、それだけ乱暴があったのでこの様な法度ができたのでしょう。またそれだけ多くの外国人が来ていたという解釈もできます。
また『駄賃人足賃を記す』慶応三年(1867)は、現在で言うと送料の価格改定というところでしょうか?
そしてどの高札も分かりやすくシンプルにまとめてあるのが特徴的でした。まあ、1枚の高札のスペースは限られているので、そんなに長々と書けませんしね。ともあれこの復元された高札場は東海道ウォーキングを楽しんでいる方はもちろん、江戸時代に興味がある方にもオススメの場所だと思います。