名古屋城のシンボルといえば金のシャチホコ(以下:金鯱)です。しゃちほことは、頭が虎(龍とも)、胴体が魚、背中に棘、口には牙が生えている空想上の生き物。火事の時、口から水を吐くといい、火難除けの守り神として屋根の上に置かれました。
名古屋城検定の公式テキスト・知れば知るほど好きになる名古屋城(名古屋城PRイベント実行委員会発行)によると、慶長十七年(1612)に名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は一対(一つい)で小判1万7千975両に相当する金が使われており、純金にして215・3kgもありました。
●金相場は1g=12,956円です。(田中貴金属工業/2024年8月2日現在)
●2,789,426,800円(27億8千9百42万6千8円)の価値です
これを見ると、約28億円のお宝が天守の上にあるのか!と思いますが、ここでハナシは終わりません。この金額はあくまで創建当時のもの。その後、大きく変わっているのです。
3回の鋳直し(改鋳)
名古屋城の金鯱は江戸時代の3回の鋳直し(改鋳)が行われました。鋳直し(改鋳)とは分かりやすくいうと金鯱を溶かして作り直すことです。
なぜそんな事をしたのかというと、尾張藩の財政難が理由。尾張藩では財政が苦しくなると金鯱のウロコを剥ぎ、鋳直して天守に上げました。これにより金の純度は下がりますが、ここで生じた金を藩の財政にあてたのです。江戸時代を通りて計3回改鋳がありました。
2回目 文政十年(1827)
3回目 弘化三年(1846)
※享保十一年(1726)に天守修理、金鯱修復が行われています。
燃えました
3回の改鋳でかなり金の純度が下がってしまった名古屋城の金鯱。さらに悲劇が襲います。昭和二十年(1945)の空襲で本丸御殿と天守が焼失。その時に金鯱も燃えてしまい、残骸は戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されました。
のち大蔵省を経て昭和四十二年(1967)に名古屋市に返還されましたが、すでに金鯱の姿ではありませんでした。そこで名古屋市は残骸から金を取り出して、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して現在は保存しています。
今の金シャチは?
名古屋市旗の冠頭と金茶釜になってしまった金鯱。 現在の金鯱は復元されたもので一対で使用された金の重量は88kgキログラムです。
●金相場は1g=12,956円です。(田中貴金属工業/2024年8月2日現在)
●1,140,128,000円(11億4千12万8千円)の価値です。
たまに触れますので
昭和三十四年(1959)、名古屋城天守の再建とともに復元された金鯱はそれ以後、たまに天守から降ろされました。また平成十七年(2005)の愛・地球博に合わせたイベントなどで金鯱に触ることができるイベントも行われました。
最後に降ろされたのはコロナ禍の令和三年(2021)に行われたイベントでしたが、今後も金シャチが降ろされて一般人でもタッチできるイベントがあるかもしれません。