愛知の県名由来は干潟だった!年魚市(あゆち)潟の石碑と名古屋市南区白毫寺

私が主催する街道を歩く会・愛知ウォーキング街道巡りクラブで名古屋市の東海道ウォークに行ってきました!今回は名古屋市南区の東海道沿いにある白毫寺でちょっと一息。

※白毫寺の読みは びゃくごうじ

実はこの白毫寺には、愛知県の地名の由来になったキッカケがあるのです。

■白毫寺の場所の住所

名古屋市南区岩戸町7−19

>>白毫寺の場所の地図

境内を散策

境内の奥へと進むとちょっとした森になっており、その奥に愛知県の県名の由来になったものがあります。

それがこれ!年魚市潟(あゆちがた)勝景と読みます。この意味をわかりやすく言うと景色が良い干潟です。

実は白毫寺は高台にあり、西側がかつての海で、埋め立てられる江戸時代以前はかなり景色が良かったとか。この年魚市(あゆち)が愛知の県名の由来になったといわれています。

看板にはなんと書いてある?

現地にある愛知県教育委員会の看板。スマホだと読みにくいかもしれないので看板の文字を起こしてみます。

年魚市潟は、鳴海から熱田にかけて海辺の湾入した遠浅の地形を指していたようである。

万葉の歌に、『年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝こぐ船も 沖による見ゆ』や、『桜田へ鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る』とあり、歌枕として有名な地となっている。『年魚市』は『あいち』と転じ、県名の語源となったと言われる。この地は、かつて年魚市潟を展望できる場所の一部として、昭和四十八年市指定の名勝とされた。

名古屋市教育委員会

ではその名勝とやらをチェック…!とばかり石碑の後ろ側を見てみましたが…あれ?ビルばかり。

そうです。白毫寺がある名古屋市南区周辺は住宅地と商業地で建物がびっしりになっています。またかつての海、つまり干潟も埋め立てられてしまいました。

地図でチェック!

現在の地図と高低差を表す地図でかつての地形をチェックしてみます。するとまず白毫寺は島みたいな場所にあるのですが、これが笠寺台地です。

その笠寺台地の西の端に白毫寺があり、その西は低くなっています。かつての海ですね。西側に向けて干潟の景色が開けていたのでしょうけれど、現在の住宅地図を見てわかる通り、かつての景色は見ることができません。

私の感想

私の感想ですが、愛知県の地名はかつての干潟から来ているとは知りませんでした。今では景色は見れないものの、こうして石碑が建っているだけでも、そのキッカケを偲ぶ事ができますね。

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