徳川家康四男の松平忠吉の墓が残る千種区大雄山性高院

名古屋市千種区の大雄山性高院は徳川家康の四男・松平忠吉の墓所が残る寺院です。松平忠吉といえば慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで井伊直政と共に東軍の先陣をきった武将です。しかし合戦後に若くして亡くなってしまいました。

■性高院の住所■

名古屋市千種区幸川町3丁目6−6

>>性高院の地図

実はマンションでした

松平忠吉の墓所は現在の中区大須の門前町にありましたが、昭和十八年の現在地に移転されました。ちなみ本堂はマンションの8階にありますが一般の方は入ることができません。

そして墓所

性高院の敷地内にある松平忠吉の墓所。わかりにくい場所にあります。

忠吉が亡くなった時に殉死した以下4名の墓所もすぐとなりにありました。

・石川主馬
・稲垣将監
・小笠原監物
・佐々記内

また江戸時代中期の国学者で尾張藩士の天野信景、儒学者の松平君山の墓もあります。

有形民族文化財の双体地蔵石碑

松平忠吉と側近の奥津氏の菩提を弔うために建立された双体地蔵石碑。

私の感想

私の性高院の感想ですが、ビルだらけの千種区に残る貴重な菩提寺だと思いました。特に松平忠吉は関ヶ原の戦いでも活躍したので、戦国好きの方ならその名前を知っている人も多いと思います。興味がある方は是非、参拝してみてください。

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